第1章 邂逅 -Happening-

【4】

第1章 邂逅 -Happening- 【4】

彼の教室は二階にあるが、階段をすぐには上らずに、一階の廊下をゆっくりと歩く。ここには、主に三年生の教室が並んでいた。

「ね、朝陽ちゃんも行くよね?」

そのため、その話し声が聞こえてきた時、彼は思わず立ち止まっていた。

「あ、ごめんなさい。私、今日は用事があって」

最初は同名の別人かと思ったが、声を聞いて、それが自分の妹のものだと確信する。チラッと近くの教室に目をやると、複数の三年生に囲まれて、妹が苦笑していた。いったいどういう組み合わせだろうかと、聞き耳を立てる。

「えー、朝陽ちゃん行かないの?じゃあ、俺も行くのやめよっかなー」

「だよな、女の子いないと盛り上がんないしなー」

「あー、ひどーい!私たちは女の子じゃないっていうの?」

男子のそんなやりとりに、女子からブーイングが起きる。いかにも若い男女たちの会話というか、自分には縁の無さすぎる会話だった。

「しょーがない。朝陽ちゃんにも用事の一つや二つくらいあるでしょ。ってか、あんた昨日も朝陽ちゃんのことカラオケに誘ってなかった?」

「あれはバスケ部と女バスの連中でカラオケ行こうって話になったから、朝陽ちゃんも呼んだだけだよ」

なるほど、昨日帰りが遅かったのにはそんな理由があったのかと、十条九は内心呟く。

「ってか、昨日の今日でまた誘うってのはどうなわけ?ちょっと非常識じゃない?」

「あ、いえ!別にそんなことないですよ!何もなければ、行きたかったんですけど……あいにく、家の方の都合で、どうしても行かないといけなくて。本当にごめんなさい」

真摯に謝る姿を見て、三年生たちは逆に慌てた様子で、そんなことないだの何だのと口にしている。彼らも、ずいぶんとたらしこまれたものだ。

「じゃあ、また今度誘ってくださいね」

そんなことを言って、朝陽は教室から出てくる。ドアをくぐる時に、一瞬彼女がため息を吐くのを、十条九は見逃さなかった。

「……って、うわぁ……何でお兄ちゃんがここにいるの?」

「ああ、ちょっと通りがかってな」

彼は、経験から瞬時に察する。今の「うわぁ」は、本気で引かれた時のそれだった。道端に落ちていたガムを踏んだ時とか、急いでいるのに電車が混んでいる時に出る「うわぁ」だ。

「ふーん、あ、そう。じゃあ、また後でね」

「ああ」

しかし、そう言って互いに歩を進めたのは同じ方向だった。

「……ねえ、なんでついて来るの?」

「その言葉、そのままそっくり返す。仕方ないだろ、二年生の教室は二階なんだから」

彼は、見えてきた階段を指して言う。

「そんなこと言うなら、一年の教室は三階だし。お兄ちゃん、別な階段通ってくれない?お兄ちゃんと一緒に歩いてるところ、誰かに見られてウワサになるの、イヤだし」

「噂?……ぼっちとビッチ、とか?」

「はぁ?」

彼がなんとなくボソッとこぼした言葉に、即座に朝陽が反応する。

「ねぇ、ぼっちっていうのがお兄ちゃんのことだってのは瞬時に分かるけど、私のことビッチとか言うのやめてくれない?っていうか、実際ビッチじゃないし。ちゃんと、身持ちは堅いんだから」

彼女は不快感を露にした目で、こちらを見ていた。

「ただの八方美人。別に、男にだけ取り入ってるわけじゃないし」

「自分でそれを言いますか……まあ、言われてみれば確かにそうだな。結局のところ、お前は他人から嫌われるのを嫌がっているわけだから、ビッチなんていう、他人から白い目を向けられるようなレッテルを、防がないはずはない。誰にでもいい顔をしつつ、特定の誰かに気のある素振りは見せない。つまり、誰にでも好かれそうな『いい後輩』を演じている。そうやって、うまいことやってるんだろう?まったく、家でのお前を見ている俺としては、感心すら覚えるぞ」

彼女の言っていることは本当だろうと、十条九は確信していた。彼女が求めているのは友達でも、先輩でもなくて、集団そのものなのだ。つまり、何かのグループに属しているという事実だけを、彼女は欲しているのだ。

何なら、彼女は異性と交際したことすらないと、断言できる(十条九とは異なる理由で)。そんな、いかにも周囲にいざこざを生みそうなことを、彼女にはできないはずだからだ。

「それ、実はバカにしてない?」

「してないぞ。少なくとも俺には、そんなことできないし」

二階につくと、十条九はぼやくように言いながら、自分の教室へと歩き出す。

「それはそうでしょ。お兄ちゃんがそれをやったら、気持ち悪いだけだろうし」

背中にかけられた声に、思わず立ち止まる。さすがに言われっぱなしのままでは格好がつかなかったので、何か言い返そうと口を開く。

「でも、それも大概にしとけよ。度が過ぎると、八方美人は一瞬で嫌われ者になるぞ」

「……ぼっちが言うと、説得力があるわね」

そこまで納得されると、こちらとしても反応に困った。

「忠告どうも、お兄ちゃん」

「ああ、後でな」

彼らはそう言って、別々の方へ歩き出した。歩きながら、どうしてこうも正反対なのだろうと、互いに思う。同じ環境で育ちながら、自分たちは鏡に映したように真逆だ。過度なストレスの中で、兄は一人でいることの気楽さを覚え、妹は群れることの快適さを覚えた。その結果、今の状態がある。

奇妙なものだと、互いに思った。